身近な場所の歴史に、興味を持っています。
春日井市にもお城があった・・・。
上条城は、小牧長久手の戦いの後、秀吉により取り壊されたということで、城跡が残っています。
見に行かなくてはと思っていたのですが、なかなか外出できず・・。
そんな折、中日新聞に上条城のことが掲載されていました。
上条城に興味を持ったのは、古代豪族和邇氏関連の神社が、この近くにあるからです。
「和邇良神社」と言います。
和邇良神社参考資料↓
上条城を築城したのは
木曾義仲の四天王の一人今井兼平の孫、小坂孫九郎光喜で、
wikiによると、
1218年に上条城を築城、同年に朝宮に鎮座して廃寺寸前だった大光寺と和邇良神社を、現在の上条町に移し、合祀する形で和邇良白山神社と称した
とあります。(郷土誌かすがい第6号にも、同じように書かれています。)
現在、上条町の和邇良神社の隣に大光寺があって「朝宮山」と山号があったのは、元は朝宮町にあったからでしょうか。
(神社も寺も、小牧長久手の戦いの時に、焼失したそうです。その後再建。)
ちなみに、朝宮町には現在朝宮神社があります。朝宮神社↓
小野道風の植えた木があったのでしょうか?
神社の隣には朝宮御殿跡というのもありました。
延喜式神名帳(927年にまとめられた全国の神社一覧)の式内社の和邇良神社には累社がいくつかあるようです。
和爾良神社 【廃絶】 〃 和爾良神社(春日井市上条町) 〃 朝宮神社 〃 両社宮神社 〃 和爾良神社(名東区猪高町) 〃 神明社 〃 天神社(春日井市牛山) 〃 景行天皇社
↓こちらのページからの引用です。
このサイトの尾張国の、山田郡にあります。
現存しているどの神社が、記述されている和邇良神社なのでしょう?
山田郡とは、そもそもどのあたりまでだったのでしょう。
郡の境界と言われる庄内川も、氾濫が多くて、いろいろ形を変えているようですし、古代はどんな風景だったのでしょう。
庄内川と八田川は繋がっているから、船での移動もあったのかなあ・・・。
家族にそんな疑問を話したら「だから何?」と言われました。
家族にとっては、古代のことや由来、例えば邪馬台国がどこにあったとかいうことも「だから何?」なのでしょうか。
以前二子山古墳のことを調べている時、東海の古代史と「ワニ氏」とは深い関係にあるということを知りました。
東海といえば、尾張氏が有力と思っていましたが、深く関わっている和邇氏とはどういう氏族なのでしょう。
和邇氏は、小野氏、春日氏などの別性にもなっていき、春日井市の地名にも関連があるのでしょうか。
奈良の方で勢力があったということですが、和邇(ワニ)という名前から、海の方の出自なのでしょうか。
和邇、小野、など似たような地名は、滋賀県や、奈良県にもあります。
また、朝宮という地名は、滋賀県の信楽あたりにもあります。
いろいろつながりがあるのか、たまたま同じ地名なのかわかりませんが、古代の人々が尾張や、美濃、近江や、越前や京都など、あちこち交流、移動している様子はあります。
そんな、地元の古代のことを知りたくて、いろいろ本も探しています。
「郷土誌かすがい」も、パソコンで興味深く見ています。
創刊号から、現在77号までありますが、本になれば見やすいのに・・・と思っています。